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東京地方裁判所 平成3年(ワ)10557号 判決

主文

一  被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、金五〇〇〇万円及びこれに対する平成三年二月二三日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

二  被告(反訴原告)の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、本訴、反訴を通じ、被告(反訴原告)の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り仮に執行することができる。

理由

一  争点

本訴、反訴を通じての本件の主たる争点(損害に関する争点を除く。)は、次のとおりである。

1  原告と被告が平成二年八月末ころ締結した契約の性質如何。

原告は、右契約の性質を、原告が被告のために売主から本件物件を買い受け、被告にこれを帰属せしめる旨の委任の性質を有する業務委託(所有権代行取得)契約であるとし、被告は、主位的には、本件物件についての売買(転売)契約であるとする。

2  原告が被告に対して飯村に本件倉庫を明け渡させる義務及び本件土地について関係者立会承認済みの実測図及び官民査定確認書を交付する義務を負つていたか否か。

3  右2が肯定された場合に、被告による原告、被告間の平成二年八月末ころ締結した契約の解除が認められるか否か。

二  そこでまず、主たる争点1について判断する。

1  原、被告間の契約に至る経緯について

当事者間に争いがない事実に、《証拠略》を総合すれば、以下の事実が認められる(なお、原告を債権者、被告を債務者とする当庁平成三年(モ)第一三九六三号保全異議事件における当事者代表者本人及び参考人の審尋を引用する場合、「別件審尋」と称し、本件訴訟において書証として提出された右結果を録音反訳した書面の書証番号をかつこ内に示す。)。

(一)  原告は、平成二年三月下旬ころ、訴外株式会社資産評価問題研究会(以下「研究会」という。)の監査役を務める納富から、大島ら所有の本件物件の買い手の斡旋を依頼された。その際、本件物件の売買の条件として、本件建物には賃借人が一〇世帯いるが、賃借人付きのままの引渡しとし、本件倉庫の賃借人飯村は、大島らで明け渡すことを提示された。

原告は、不動産業者数社に本件物件を紹介するなどしたが、取引話に格別の進展はなく、本件物件は原告とは別の業者が斡旋した株式会社日照(以下「日照」という。)との売買の話が進行していた。

(二)  被告代表者の渡部昭典(以下「渡部」という。)は、同年六月二〇日ころ、訴外株式会社東商エステート(以下「東商」という。)の井上進(以下「井上」という。)から、本件物件を紹介され、被告で本件物件を買い、被告と取引のあつた株式会社力建又はその関連業者に転売する見込みを立て、同月二二日ころ、力建の社長村上に対し、被告において本件建物の賃借人の明渡しをすることを条件として坪六〇〇万円での購入方を打診したところ、右村上から、関連業者が買い受けてもよいとの返事を得た。泰斗建設は右力建の関連業者である。

(三)  渡部は、井上に対し、同月二三日ころ、本件物件を被告が買う意向を伝え、さらに、井上は、原告に対し、本件物件の購入を希望している業者があることを伝えた上、本件物件を日照に売る話をやめさせ、東商が紹介する右業者に話を回してほしいと依頼した。そこで、原告は、納富に対し、日照へ売却する話を見直すよう依頼したところ、納富は、原告に対し、大島らとの売買契約において、研究会が、買主側の仲介業者として、買主から仲介手数料の支払いを受けたいこと、そのため買主名義は原告とすることを条件として、原告の申し出を優先してもよい旨述べ、以後、原告がその名義で本件物件を買い受ける方向で本件物件の取引交渉が再開された。

そして、原告においては、当時、原告の社員であつた野村雅美(以下「野村」という。)が原告の担当者として納富及び被告との交渉に当たり、一方、被告側では、井上が、事実上、同年八月二二日ころまで被告との交渉の窓口となつた。

(四)  野村は、原告が大島から本件物件を買い受け、これを直ちに被告に対して転売することとした場合、原告に対して短期譲渡所得税が課せられ、原告の利益がほとんど残らないこととなるため、買主となる被告のために原告が本件物件を代行取得するという方式(以下「本件方式」という。)を採ることを企画し、井上にその旨申し出た。その後、野村は、本件方式の具体的契約方法や問題点を調べるなどした。

(五)  渡部は、同年八月三日、本件物件の買受けについて井上と打合せを行い、井上から、(a)原告と買主間の契約形態として、原告が、被告のために本件物件を買い受け、これを被告に対して移転する旨の代行取得としたい、(b)研究会に支払う手数料及び原告に対する右の代行取得業務の報酬一〇〇〇万円を支払つてほしい、との説明を受けてその協力方を依頼され、これを了解した(なお、井上は、その別件審尋において、右(b)の説明は、八月二二日以前にはしていないと供述するが、渡部の別件審尋によつて、渡部が記載したと認められる日誌において、八月三日の記載として、右(b)に示された事実が記載されていることに照らし、採用することはできない。)。

(六)  その後、野村は、井上から、被告が本件方式を採ることを了解した旨聞き、原告と被告で締結する本件方式による契約についての協定書及び代理契約委託書の原案を作成し、その過程で、訴外六港商事の社長から契約書の書式を教えてもらうなどした。

次いで、野村と井上は、同年八月二一日ころ、打合せを行い、被告が前示(五)(b)の条件を受け入れることを確認した。

(七)  渡部は、井上とともに、同年八月二二日、原告方を訪ねて野村と打合せを行い、本件物件を被告が買い受けることになつたことを述べた。

野村は、渡部及び井上に対し、(a)原告が、被告のために本件物件を取得する旨の協定書を作ること、(b)原告が大島ら及び納富に支払う本件物件の代金等は、その都度、被告が準備して原告に預け、原告がこれを支払うことなどを述べ、渡部は右野村の申入れを了承した。

そして、野村、渡部及び井上は、野村が作成した協定書の原案をもとに打合せを行い、加筆修正した(なお、渡部は、その別件審尋において、野村が作成した協定書の原案を初めて見たのは、同月三〇日であると供述しているが、《証拠略》によれば、右原案について手書きの修正が加えられた後、後記のとおり、税理士らに相談した結果、本件協定書(甲第一号証)の第八条が挿入され、また、そのため当初同月二四日に予定していた原、被告間の契約締結が遅れたと認められること等に照らし、採用することはできない。)。

野村は、翌日ころ、訴外長谷川安雄弁護士及び同遊長税理士に右修正案について、法律面及び税務面からの検討を依頼し、その指示助言を得て、最終的な契約案を記載した協定書及び代理契約委託書を完成させた。

(八)  原告と被告とは、同年八月終わりころ、協定書及び代理契約委託書(甲第一号証)に調印し、原、被告間で本件物件の取得に関する協定を締結した(以下「本件協定」といい、甲第一号証中の協定書と題する書面を「本件協定書」という。)。

本件協定書には、大要次のとおりの記載がなされている。

(1) 被告が、原告に対し、本件物件を「代行取得する業務」を委託し、原告がこれを引き受ける(第一条)。

(2) 第一条に基づき、原告は、自己の名において、本件物件を、その所有者から買い受け、これを被告に対して引き渡し、その所有権を帰属させる。原告は被告に現況のまま本件物件を引き渡し、本件物件の賃借人の立ち退きには責を負わない(第二条)。

(3) 原告の業務及び原、被告の各経理義務について

(ア) 原告の被告に対する委任事務状況及び顛末の報告義務(第三条)

(イ) 被告が、原告に対し、「業務委託料報酬」を支払うこと(第四条)

(ウ) 契約書貼付の収入印紙代、登記費用等及び不動産取得税、その他買主が負担すべき仲介手数料等全ての費用は、被告が負担すること(第五条)

(エ) 本件協定書の有効期限及び代行委託期限を一年とすること(第七条)

(オ) 原告が本件物件を所有者から買い受けた際の売買契約の契約書及び本件物件の所有者が発行した領収書を、原告が被告宛に発行した預り証と交換に、原告から被告に引き継ぐこと(第八条)

(九)  そして、原告は、本件協定を踏まえ、大島らとの間で、同年八月三〇日、土地建物売買契約書に調印し、本件売買契約を締結した。

原告は、本件協定に則り、被告から、同日ころ、本件売買契約の売買代金のうち手付金に相当する二三六一万八〇〇〇円の支払いを受け、被告に対し、その預り証を交付するとともに、大島らに対し、本件売買契約の手付金として右金員を支払い、その領収書の交付を受けた。

次いで、原告は、被告から、同年九月一〇日ころ、研究会に対する手数料に当てる目的で、三〇〇万円の支払いを受け、被告に対し、その預り証を交付し、研究会に対し、右金員を支払い、研究会から、その領収書の交付を受けた。

(一〇)  原告と大島らは、平成二年一〇月二〇日、本件売買契約について、本件物件の引渡期限を同年一一月末日、飯村の明渡期限を同年一二月末日と変更することを合意し、その旨の平成二年九月二五日付け付帯覚書に調印したが、右変更については、野村は、事前に渡部に打診し、その了解を得ていた。

(一一)  原告は、被告から、同年一二月三日、本件売買契約の代金支払いに当てるため、留保金五〇〇〇万円を除く一億六六二一万二〇〇〇円の支払いを受け、その預り証を交付し、原告は、大島らに対し、同日、右金員を支払い、その領収証の交付を受けた。

また、原告は、被告から、同日、研究会の手数料残金の支払いに当てる目的で、四〇〇万円の支払いを受け、被告に対し、その預り証を交付し、研究会に対し、右金員を支払い、研究会から、その領収書の交付を受けた。

さらに、原告は、被告から、同日、業務報酬として一〇〇〇万円の支払いを受けた。

そして、本件物件については、右同日、大島らから直接被告に対して所有権移転登記がなされた。

(一二)  原告は、納富を通じ、禎子から、右同日、飯村の明渡交渉について委任を受け、飯村との間で、同月二八日、本件倉庫を平成三年二月一〇日までに明け渡す旨の家屋明渡契約を締結し、その旨の契約書を作成し、飯村は、平成三年二月九日、本件倉庫を明け渡した。

(一三)  渡部は、泰斗建設へ本件物件を転売する話を進めていたが、泰斗建設に対して実測図等が交付できず、飯村の明渡しも年内に完了する見込みがないと考え、同月一七日、泰斗建設の担当者印出勉と話し合い、泰斗建設へ転売する話を中止することとした。

2  以下、右認定事実等に基づき、本件協定の性質及び内容について判断する。

(一)  前1(八)判示のとおり、本件協定書には、契約の内容について、被告が、原告に対し、本件物件を「代行取得する業務」を委託するものであり(第一条)、その方法として、原告が、自己の名において、本件物件を、その所有者から買い受け、これを被告に対して引き渡し、その所有権を帰属させることによることとし(第二条)、そして、原告の業務及び原、被告の各権利義務について、(1)原告の被告に対する委任事務状況及び顛末の報告義務(第三条)、(2)被告が、原告に対し、「業務委託料」を支払うこと(第四条)、(3)契約書添付の収入印紙代、登記費用等及び不動産取得税、その他買主が負担すべき仲介手数料等は、被告が負担すること(第五条。なお、前示経緯からして、同条の各費用は、当然、原告と本件物件の所有者間の売買契約、すなわち、本件売買契約についての費用であると認められる。)、(4)協定の有効期限を一年とすること(第七条)、(5)本件物件所有者と原告との売買契約書及び本件物件の所有者が発行した領収書を原告が被告宛に発行した預り証と交換に、原告から被告に「引き継ぐ」こと(第八条。なお、前示の経緯及び弁論の全趣旨によれば、右の預り証とは、原告が、本件売買契約に基づき、大島らに支払う売買代金及び各種費用に当てるため、被告から右金員の支払いをうけた際に、被告に対して発行するものであると認められる。)と定められている。

そして、その後の履行経過については、前示1(九)ないし(一一)のとおりであり、大島らに支払うべき本件売買契約の代金については、原告は、その都度、被告から必要な額の金員の支払いを受け、被告にその預り証を交付し、大島らに右金員を支払つていたものであり、研究会に支払うべき手数料についても同様であるほか、被告から原告に対し、平成二年一二月三日に業務報酬名目で一〇〇〇万円が支払われている。これらは、いずれも、本件協定書に示された内容に即した履行行為の体裁を呈しているものである。

右の事実に本件協定成立に至るまでの前示1(三)ないし(七)の事実を総合考慮すれば、本件協定は、原告が、被告のために、被告に代わつて本件物件の所有者である大島らとの間で、原告を買主名義として本件売買契約を締結した上、被告に対して本件物件を引き渡すことによつて本件物件の所有権を被告に対して移転、帰属させること、一方で、原告は、本件売買契約に基づき原告が大島らに対して支払うべき売買代金その他の各費用に充てるための金員を被告から予め支払いを受け、右金員をもつて、大島らに対して右売買代金等の支払をすることを本旨とするものであり、したがつて、その契約の基本的性質は、委任ないし準委任であると解するのが相当である。

(二)  ところで、被告は、本件協定書は、課税潜脱目的でなされたものであり、当事者間で合意したのは本件物件の転売契約であると主張し、渡部は、その陳述書及び別件審尋において、同旨の供述をしているほか、次のとおり述べている。

(1) 平成二年八月三日ころ、渡部と井上が打合せをした際、井上から、原、被告間の契約について、「形式的に代理契約のかたち」にし、「売却代金の上乗せ分一〇〇〇万円を名目上報酬として支払つてほしい」と言われ、同月二二日ころ、野村、渡部及び井上が会談した際も、野村から、原、被告間の売買について形式的に委任契約の形を採ることの了解がされた。

(2) 転売契約の内容は、原告に対する業務報酬等を附加した総額が売買代金額となることを除き、本件売買契約と同じであり、まず、本件売買契約が締結された後、原、被告間の契約を締結し、右売買契約と同一内容とする旨を野村と渡部間で確認した。

(3) 本件協定書は、原、被告間の契約とは無関係のものであり、便宜上、適当に作成した、又は、右書面は、実際は売買契約書であり、預り証は、実際は領収書のことである。

また、井上も、その陳述書並びに別件審尋において、原告は、転売目的で本件物件を購入する意図であつた、原、被告間の契約は、転売契約であると証言している。

さらに、《証拠略》によれば、平成二年七月一七日の時点で原告及び大島らは、国土法の届出をし、その後、原、被告間でも、国土法の届出をしたことが認められるところ、渡部は、その別件審尋において、被告は、原告及び大島ら間の右届出を要請していないし、原、被告間の国土法の届出は、渡部が、役所に問い合わせた結果、原、被告間の契約は売買であるといわれて、届出をするよう言われたと供述しており、また、《証拠略》によれば、本件協定書の日付けを実際の締結日よりも遡らせ、七月一一日とし、従前から本件協定が存していたとの体裁を整えたことが認められる。

(三)  しかしながら、先に判示したとおり、原告は、原告が大島らから本件物件を取得した上、これを被告に転売したのでは、原告に利益が残らないため、原告の利益を確保する目的で代行取得方式なる契約形式を選択して被告に申し出、野村は、渡部、井上らと本件協定書案について協議をしたうえで、慎重を期し、弁護士、税理士らに相談して本件協定の条項を作成修正し、渡部も、その最終案が記載された書面に記名押印したものであるから、被告においても右原告の要請を了承して本件協定書各条項に同意したものと見るべきである。そもそも、被告は、不動産取引も手掛ける法人であり、その代表者たる渡部が、本件協定書のようないわゆる処分証書に調印することの意味を踏まえず、裏念書等を作成することもなく、容易に契約書の記載内容が何ら効力を生じないものと考えてこれを作成したとは到底認め難く、前記(二)の各供述及び証言中、少なくとも原、被告間の契約が転売契約であり、協定書の作成が形式的なものにすぎないとする部分は採用することはできない。なお、本件協定書の作成日付は平成二年七月一一日と遡及されている点については、原告が本件物件を代行取得することとしたため、原告と大島ら間の国土法の届出以前に、被告から右業務を受託していた形にするため日付けを遡らせたことによると推認されるから、右作成日付の遡及の事実が本件協定書全体が単に形式的なものにすぎないことの徴表であるとはいえないし、原、被告間の国土法の届出については、「譲渡人は本物件の現所有者より代行取得して譲受人に引渡すものである。」と記載して、その内部関係を明らかにしており、右届出がされたからといつて、本件協定が形式上のものにすぎないとか、その実質が転売契約であることを示すものとはいえない。

(四)  以上のとおり、(二)記載の証拠ないし事実をもつてしては、前示(一)の認定を覆すには十分ではなく、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

三  争点2及び3中、飯村の明渡義務の存否及び右義務の不履行を理由とした契約解除の主張について判断する。

1  被告は、本件倉庫から飯村を明け渡させることについて、大島らとともに、原告がその義務を負つていたと主張し、渡部は、その陳述書において、平成二年八月二二日、野村、渡部及び井上が会談した際、野村が、飯村の明渡しについて、「責任はうち(原告)で持つ」と述べたと供述をし、また、《証拠略》によると、渡部は、野村に対し、平成二年一〇月ころから一二月ころにかけて、飯村の明渡について、その実現の見込みや時期を問い合わせたり、催促したりしていたこと及び当初、原、被告間の関係は、大島ら及び納富に対しては秘匿されていたこともあつて、飯村の明渡しについては、被告が、大島らに対し、直接請求できる関係にはなく、したがつて、被告としては、原告を通じてその実現を期待するほかなかつたものであることが認められる。

2(一)  しかしながら、前掲甲第一号証によれば、本件協定書第二条2ただし書においては、原告が「本物件の賃借人の立退きに関しては責を負わず、現況のまま引き渡すものとする。」と定められていることが認められる。ところで、右協定書の「物件の表示欄」には、本件物件の記載はあるが、未登記物件である本件倉庫は掲記されていない。しかしながら、本件倉庫は本件土地上に存していること及び渡部は本件土地上に本件倉庫が存在し、飯村が入居していることを本件協定締結前に認識していたことからすると、本件協定書における「本件賃借人」には飯村も含まれる趣旨と関するのがむしろ自然である(ちなみに、本件売買契約書においても、本件協定書の場合と同様、「本物件」として特定された物件の表示欄には本件物件しか記載されていないにもかかわらず、飯村については「本物件の賃借人」として記載されており(特約条項3))、本件売買契約の「本物件の賃借人」には飯村が含まれるものとされている。)。

そうすると、本件協定の右条項は、むしろ、飯村の明渡しについて原告は責任を負わないことを示すものと認められる。もつとも、本件物件が被告名義に所有権移転登記された後においても、前示二1の(一二)のとおり本件倉庫については、原告は禎子の代理人として飯村の明渡交渉に当たつていたものであるから、本件売買契約と本件倉庫の関係は必ずしも明らかでない点があり、したがつて、仮に本件協定書における「本物件」が文字通り本件物件のみを意味するものとすれば、本件倉庫の賃借人である飯村の明渡については本件協定においては、なんらの取極もされなかつたことになり、いずれにしても、本件協定において原告が飯村の明渡義務を負担していたとは認め難いことになる。前記渡部の別件審尋における供述における野村の発言が仮になされたとしても、その趣旨が原告が被告に対しての飯村の明渡義務を引き受けたものであるか否かは必ずしも明らかでないし、本件協定成立前の発言であるから右認定を左右するに足りない。

(二)  加えて、《証拠略》によれば、渡部は、平成二年一一月二〇日ころ、「契約条項改定合意書」と題する書面を作成したが、右書面において、(a)原告は、大島らが、飯村の明渡しを完了させるまでの間、売買代金残金のうち五〇〇〇万円の支払いを留保することができること、(b)一二月末日までに右明渡しが完了しないときは、完了まで一日当たり八万一六〇〇円の遅延損害金を支払うこと及び(c)平成三年一月末日までに完了しないときは、違約金として売買代金の二割相当額を支払うことを案として提示したものの、右合意書の調印には至らなかつたことが認められるところ、右時点は、渡部が野村に対して飯村の明渡しについて問い合わせ、催促をしていた時期であり、既にその実現について不安を持つていた時期であるから、原告が明渡義務を負担していたとすれば、原告と被告間の合意書の作成を試みるのが自然ではないかと思われるし、かかる段階に至つてなお、ことさら被告からの提案において本件売買契約の右のごとき改定を提案したことは、むしろ、飯村の明渡は大島らが行うべきことを被告自身が前提としていたことを示すものということができる。

3  右2で検討したところに照らして考えると、1の認定事実から、原告が被告に対して飯村に本件倉庫を明け渡させる義務を負つていたと推認することは困難というべきであり、他に被告主張の原告の飯村の明渡義務を認めるに足りる証拠はない。

四(一)  ところで、法が債務の不履行による契約の解除を認める趣意は、契約の要素をなす債務の履行がないために、該契約をなした目的を達することができない場合を救済するためであつて、付随的な義務を怠つたにすぎないような場合は契約の解除はできないと解するのが相当である(最高裁判所昭和三六年一一月二一日第三小法廷判決・民集一五巻一〇号二五〇七頁)。

(二)  そこで、右観点から本件協定ないし本件売買契約をみるに、本件売買契約においては、売買物件は、現況のまま引き渡すものとされているが、前示のとおり売買契約の物件表示欄にも記載されていない付属的な未登記建物である本件倉庫を飯村が使用していたことから、売買残代金の支払時期について、特約として、飯村の明渡が完了するまで売買代金残金のうち五〇〇〇万円を留保すること、平成二年一一月末日までに飯村が明渡しをしない場合は、大島らが、原告に対し、一日当たり八万一六〇〇円を支払うことが定められていることからして、右明渡予定期限を徒過した場合も、契約解除ではなく、留保金と遅延損害金の支払で対処することを予定していたと解される体裁となつていること、一方、本件協定書においても、先に認定したとおり、第二条2ただし書において、原告は、「本物件の賃借人の立退きに関しては責を負わず、現況のまま引き渡すものとする。」と定められていること、被告は、未だ飯村の明渡し前の平成二年一二月三日、本件売買契約残金相当額を支払つた際、本件物件に極度額二億七〇〇〇万円の根抵当権を設定しており、本件協定や本件売買契約が解消された場合に原状を回復するに容易でない状況を自ら作つたことは、右留保金等で処理することを前提とした行動であるともいい得ることを併せ考えると、仮に原告に飯村の本件倉庫から明渡を完了せしめる義務が存したとしても、その不履行については、遅延損害金の支払により問題を解決することが予定されていたと認めるのが相当である。そうすると、仮に原告が被告に対して飯村に本件倉庫を明け渡させる義務を負つていたとしても、右義務の遅延を原因とする契約解除の主張は理由がない。

(三)  加えて、飯村が、被告が原告に対して契約の解除の意思表示をした平成四年二月一三日以前である平成三年二月九日に本件倉庫を明け渡したことは当事者間に争いがない事実であるから、この意味においても、原告が被告に対して飯村に本件倉庫を明け渡させる義務を負つていたことを前提とする契約解除を許容することは相当でないというほかない。

5 以上のとおりであり、原告の飯村の倉庫明渡義務の不履行を理由とする被告の契約解除の主張は理由がないというほかない。

四  争点2及び3中、実測図等交付義務及び右義務の不履行を理由とした契約解除の主張について判断する。

1  《証拠略》によれば、本件売買契約においては、本件物件の明渡期限は平成二年一〇月末とされ、右明渡と所有権移転登記と同時にその残代金が支払われ、右残代金支払時期までに大島らにおいて、本件土地の隣地との境界を明示し、隣地所有者の立会承諾印を徴収した土地地形図を交付するものとされていることが認められる。そして、不動産取引においては、売買対象土地を特定するための測量図等を交付することが売主の義務とされることが一般的であることからすると、原告は、本件協定に基づき、大島らとの関係で直接この者らに請求することができない被告に代わつて、受任者としての善管注意義務に基づき、大島らに対して期限通りにその履行をするよう催促し、大島らから隣地所有者の立会承諾印を徴収した土地地形図の交付を受け、これを遅滞なく被告に引き渡す義務があつたものと認めるのが相当である。

次に、被告は、平成二年八月三〇日、官民境界査定確認書を同年一〇月末日までに交付することが合意されたと主張するが、右合意の成立を認めるに足りる証拠はない。

2(一)  ところで、仮に大島らが関係者立会承認済実測図のほか官民査定確認書の交付義務を負つていたとしても、官民境界査定確認図の交付期限は、これを特定するに足りる的確な証拠はない上、先の認定事実によれば、本件売買契約上の売主の義務としては、飯村が本件倉庫を明け渡した後においては、右実測図等交付義務が残つていたにすぎず、本件売買契約においては、本件売買契約書の七条の趣旨に照らして、保留金五〇〇〇万円の支払と実測図等交付義務が同時履行の関係にあつたというべきである。そして、前記二2で判示したとおり、本件協定においては、本件売買契約に基づき原告が支払うべき金員については被告がこれを前払いするというものであるから、被告の原告への五〇〇〇万円の支払義務が原告の被告に対する実測図等交付義務に対し、先履行の関係に立つものというほかないところ、被告が原告に五〇〇〇万円を支払つていないことは明らかである。

(二)  また、《証拠略》によれば、被告が原告に対して契約の解除の意思表示をした平成四年二月一三日以前に、既に写しではあるものの、隣地所有者の立会承諾印を徴収した土地地形図を交付していることが認められ、《証拠略》によれば、原告は、実測図等の原本を所持しているが、これを被告に交付していないのは、被告が原告に対して委任契約に基づく五〇〇〇万円の費用前払請求に応じていないためであると認められる。そして、右地形図は、原本でなければ、交付の目的を達し得ないというものではないし(原告において五〇〇〇万円の費用前払がされれば、原本の交付の用意があることは、右にみたとおりである。)、被告は、既にみたとおり、本件物件の被告に対する平成二年一二月三日付け所有権移転登記と同時に本件物件を自己所有物として極度額を二億七〇〇〇万円とする根抵当権を設定していることからすると、実測図等の原本が未交付の状態にあることをもつて、本件協定を解除することは許されないと解するのが相当である。

3  以上のとおりであり、原告の実測図等の交付義務の不履行を理由とする被告の契約解除の主張は理由がない。

五  以上の争点についての認定事実及び判断をもとに本訴、反訴の当否について判断する。

1  本訴請求について

(一)  請求原因について

(1) 請求原因1の事実、同3のうちの本件売買契約が締結されたこと、同4(一)の事実、同4(二)のうちの原告が被告から平成二年一二月三日に残代金のうち本件留保金を除く一億六二二一万二〇〇〇円を預かつたとの事実を除く事実、同4(三)及び同5の事実は、いずれも当事者間に争いがなく、その余の請求原因事実は二1、2で認定、判断したとおり、いずれもこれを認めることができる。

(2) そして、飯村は、平成三年二月九日に本件倉庫の明渡しを完了したものであるから、原告は、本件売買契約に基づき、大島らに対し、本件売買契約によつて支払いが留保されていた五〇〇〇万円を即時支払うべき事態に至つたというべきである。

ところで、受任者がその受任した事務を処理するについては、必要な費用の前払いを請求することができるものであるところ(民法六四八条)、本件協定の基本的性質は委任であり、本件協定書(甲第一号証)第五条において、本件売買契約の各種費用は被告の負担とし、第八条において、原告が、被告からその支払いを受けた際に預り証を発行し、大島らに対して支払つた後交付を受けた領収証を引き渡すものと定められ、右は、右費用の前払いを予定したものと認められ、野村及び渡部も、その各陳述書において同様の陳述をしていることからして、本件協定において、原告に費用前払請求権があるものと認められる。

そうすると、原告が大島らに対して右金員を支払うために、その前提として、被告は、原告に対し、右五〇〇〇万円を支払う義務があるというべきであり、したがつて、原告の本訴請求は理由がある。

(二)  抗弁である契約解除の主張が理由のないことは、前示三及び四(争点2及び3についての判断)で判示したとおりである。

(三)  よつて、本訴請求は理由がある。

2  反訴請求について

(一)  前示二のとおり、平成二年八月末ころ、原、被告間に成立した契約は、原告が、被告のために本件物件を代行取得し、これを被告に帰属させることをその本旨とする請求原因2記載の契約であつたと認められ、反訴主位的請求原因1の売買契約については、その成立を認めるに足りる証拠はない。

よつて、反訴事件の主位的請求は、その余を判断するまでもなく理由がない。

(二)  また、反訴事件の予備的請求の請求原因は、本訴事件における被告の抗弁とその理由を同じくするものであるところ、本訴事件の右抗弁としての原、被告間の本件協定の解除に理由がないことは前示三、四のとおりであつて、反訴事件の予備的請求における解除も理由がなく、したがつて、その余を判断するまでもなく、右請求も理由がない。

第五 結論

以上の次第であるから、本訴請求は理由があるからこれを認容し、反訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を、仮執行の宣言について同法一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

東京地方裁判所民事第三六部

(裁判長裁判官 宗宮英俊 裁判官 深見敏正)

裁判官内堀宏達は、海外出張のため署名、押印できない。

(裁判長裁判官 宗宮英俊)

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